眠らない七夕の夜
2020年 07月 11日
少し前の話になりますが、7月2日の夕食準備中に指を切ってしまい、
その後3日間ほど手抜き料理で乗り切りましたが、
傷口も少し落ち着いてきた頃、バイトの終了時間に
「今日は私が準備します」
と義母からのメールが入りました。
6日だけでなく、7日も義母は夕食づくりを頑張りました。
2日連続で夕食メニューすべてをやり遂げるというのは、同居してからほとんどありませんから
義母はかなり頑張りました。
その2日間、義父が義母の気分をのせようと気を遣ったのは、なんとなくわかります。
七夕の日の夕食後、義父は超ご機嫌で過ごし、ヨーグルトのデザートまで平らげ、
日課である食器洗いもいつもと変わらず済ませて、自室へ戻ろうと階段を上る途中から、
耳鳴りが起こったと言います。
自室へ戻った後、義父が「声が出えへん!」と大声で騒いでいます。
どうやら、耳鳴りのせいで、難聴になっていることに気が付かず、自分の声が聞こえないのを
「声が出ない」と勘違いしたようです。
軽くパニックを起こし、「あーあー」とか「声が出えへん」と騒ぎ立て、
紙に「声はちゃんと出ています。」と書いて見せると、ようやく耳が聞こえないということを理解しました。
それから1時間ほどして、今度はめまいと吐き気が夜通し続きました。
熱もなく、意識もしっかりしていて、言葉もはっきりと話せるし、読み書きにも問題ないので、
脳ではないというのは、素人目にもわかりましたが、それでもひどい吐き気は、
体力を奪っていくので、翌朝、診察をお願いしようとかかりつけ医に電話をすると、
「それは内科でなく、耳鼻科へ行ったほうが良い。病人をあちこち連れまわすのは良くないから耳鼻科へ直接行きなさい」
という看護師のアドバイスでした。
私としては、心房細動でかかっているところで、一度診てほしいと思ったのですが、
義父の止まらない吐き気を見ると、看護師の言う通りかなと思い直し、耳鼻科へ向かいました。
聴覚検査やめまいなどを診ていただいて、「突発性難聴」と診断されました。
ただ、脳も診てもらうほうがいいだろうと、総合病院へ紹介状をもらい、翌日MRI検査をしました。
脳に異常はなく、最初の診断通り「突発性難聴」と確定しました。
ところがこの検査で、鼻の奥に腫瘍がぶら下がっているのが見つかり、今回の症状とは関係ないということですが、
来週もう一度、この腫瘍について受診することになりました。
とにかく、「突発性難聴」ということはわかりましたが、これに対して、
特効薬もなければ、治療法もないらしく、症状を抑える薬を続けて、自然と治まるのを待つしかないようです。
帰宅して義父を寝かしつけ、義母を気分転換に誘って福祉センターへ向かいました。
福祉センターでは義母の編み物教室仲間が集まっているところでした。
私は、福祉センターの職員に相談したいことがあり、事務所へ向かいました。
義父の症状が治らないのなら、めまいがある限り、怖くて出歩かないことによる運動機能の衰えの方が心配なので、
歩行器のレンタルを相談しに行ったわけです。
週1でリハビリを続けてきた義父ですが、介護認定は出ておらず、職員の話では要支援介護では器具のレンタルはできないということでした。
ただ、福祉センターから包括支援センターへ連絡をしてくれたようで、帰るなり包括職員から電話が入りました。
つい先日、今年も要支援の認定が出たばかりでしたが、このめまいのためにふらついている状態が長く続くようであれば、
介護認定の申請をするという力強い言葉をもらいました。
といっても突発性~なので、認定期間が半年くらいだろうということでしたが、こちらとしては、
それでもその半年、歩行器で歩くことができれば、お散歩もできるし、せっかく1年かけて回復した筋肉を
半分でも維持したいのでありがたいのです。
包括職員は、義父がかかった耳鼻科、かかりつけ医、リハビリセンターなど、すべてに連絡を入れ、
連携を図ることを話してくれて、これもまた我々を力強く安心させる言葉をかけてくれました。
福祉センターも包括支援センターも、これが本来の仕事なんだなとあらためて理解しました。
昨日は、バイトから帰宅して、義父が全信頼を置くかかりつけ内科に連れて行きました。
症状は少し和らいできましたが、持病である心房細動も心配だったのと、
医師の顔をみれば、義父も多少安心するからです。
「まったく聞こえなくなっていますが、読み書きはできます」
というと、医師は我々が持参したメモ帳に、「心臓の音は正常。心配ない」と力強いメッセージを書いてくれたので、
義父はとても安堵したようでした。
続けて医師は、「メニエール病のような気もするな」と私につぶやきましたが、それ以上は話しませんでした。
どちらにしろ、特効薬も治療法もないので、義両親を不安にさせないための配慮だと理解しました。
今後の経過観察で、その疑いが濃くなってきたら、次の手を考えるのだろうと思います。
七夕の夜に突如発症して、2日間ひどいめまいと吐き気で体力を奪われた義父でしたが、
3日目にして少しずつ水分をとっても吐くことが少なくなり、経口飲料水を試したり、
だし汁やエネルギー補助ゼリー、チュッパチャップス(棒付きの飴)など、次々口にいれても吐かない安心をつけ、今は食べたいものを
量は一口ですが、おいしいと味わえるほどになりました。
チュッパチャップスは、かなり気に入ったようで、義母にも「食べてみろ」と勧めていました。
もちろん「そんなん人の食べたやつなんか要りません!」と義母は拒否していましたが、
そのやり取りは少し落ち着いたことを象徴する光景で、ほほえましいものでした。
すぐの回復は見込めませんが、本人がかなりショックを受けたので、落ち込まないよう、
そして家の中では普段通りの過ごし方ができるようにというのが、今の目標です。
さて、こんなバタバタした数日を過ごしていましたが、今日の朝刊にあのバイト先ホールのことが
新聞の地域版に載りました。
ホールのことを知ってもらう範囲が増えたことがうれしくて、やったーという感じです。
その後3日間ほど手抜き料理で乗り切りましたが、
傷口も少し落ち着いてきた頃、バイトの終了時間に
「今日は私が準備します」
と義母からのメールが入りました。
6日だけでなく、7日も義母は夕食づくりを頑張りました。
2日連続で夕食メニューすべてをやり遂げるというのは、同居してからほとんどありませんから
義母はかなり頑張りました。
その2日間、義父が義母の気分をのせようと気を遣ったのは、なんとなくわかります。
七夕の日の夕食後、義父は超ご機嫌で過ごし、ヨーグルトのデザートまで平らげ、
日課である食器洗いもいつもと変わらず済ませて、自室へ戻ろうと階段を上る途中から、
耳鳴りが起こったと言います。
自室へ戻った後、義父が「声が出えへん!」と大声で騒いでいます。
どうやら、耳鳴りのせいで、難聴になっていることに気が付かず、自分の声が聞こえないのを
「声が出ない」と勘違いしたようです。
軽くパニックを起こし、「あーあー」とか「声が出えへん」と騒ぎ立て、
紙に「声はちゃんと出ています。」と書いて見せると、ようやく耳が聞こえないということを理解しました。
それから1時間ほどして、今度はめまいと吐き気が夜通し続きました。
熱もなく、意識もしっかりしていて、言葉もはっきりと話せるし、読み書きにも問題ないので、
脳ではないというのは、素人目にもわかりましたが、それでもひどい吐き気は、
体力を奪っていくので、翌朝、診察をお願いしようとかかりつけ医に電話をすると、
「それは内科でなく、耳鼻科へ行ったほうが良い。病人をあちこち連れまわすのは良くないから耳鼻科へ直接行きなさい」
という看護師のアドバイスでした。
私としては、心房細動でかかっているところで、一度診てほしいと思ったのですが、
義父の止まらない吐き気を見ると、看護師の言う通りかなと思い直し、耳鼻科へ向かいました。
聴覚検査やめまいなどを診ていただいて、「突発性難聴」と診断されました。
ただ、脳も診てもらうほうがいいだろうと、総合病院へ紹介状をもらい、翌日MRI検査をしました。
脳に異常はなく、最初の診断通り「突発性難聴」と確定しました。
ところがこの検査で、鼻の奥に腫瘍がぶら下がっているのが見つかり、今回の症状とは関係ないということですが、
来週もう一度、この腫瘍について受診することになりました。
とにかく、「突発性難聴」ということはわかりましたが、これに対して、
特効薬もなければ、治療法もないらしく、症状を抑える薬を続けて、自然と治まるのを待つしかないようです。
帰宅して義父を寝かしつけ、義母を気分転換に誘って福祉センターへ向かいました。
福祉センターでは義母の編み物教室仲間が集まっているところでした。
私は、福祉センターの職員に相談したいことがあり、事務所へ向かいました。
義父の症状が治らないのなら、めまいがある限り、怖くて出歩かないことによる運動機能の衰えの方が心配なので、
歩行器のレンタルを相談しに行ったわけです。
週1でリハビリを続けてきた義父ですが、介護認定は出ておらず、職員の話では要支援介護では器具のレンタルはできないということでした。
ただ、福祉センターから包括支援センターへ連絡をしてくれたようで、帰るなり包括職員から電話が入りました。
つい先日、今年も要支援の認定が出たばかりでしたが、このめまいのためにふらついている状態が長く続くようであれば、
介護認定の申請をするという力強い言葉をもらいました。
といっても突発性~なので、認定期間が半年くらいだろうということでしたが、こちらとしては、
それでもその半年、歩行器で歩くことができれば、お散歩もできるし、せっかく1年かけて回復した筋肉を
半分でも維持したいのでありがたいのです。
包括職員は、義父がかかった耳鼻科、かかりつけ医、リハビリセンターなど、すべてに連絡を入れ、
連携を図ることを話してくれて、これもまた我々を力強く安心させる言葉をかけてくれました。
福祉センターも包括支援センターも、これが本来の仕事なんだなとあらためて理解しました。
昨日は、バイトから帰宅して、義父が全信頼を置くかかりつけ内科に連れて行きました。
症状は少し和らいできましたが、持病である心房細動も心配だったのと、
医師の顔をみれば、義父も多少安心するからです。
「まったく聞こえなくなっていますが、読み書きはできます」
というと、医師は我々が持参したメモ帳に、「心臓の音は正常。心配ない」と力強いメッセージを書いてくれたので、
義父はとても安堵したようでした。
続けて医師は、「メニエール病のような気もするな」と私につぶやきましたが、それ以上は話しませんでした。
どちらにしろ、特効薬も治療法もないので、義両親を不安にさせないための配慮だと理解しました。
今後の経過観察で、その疑いが濃くなってきたら、次の手を考えるのだろうと思います。
七夕の夜に突如発症して、2日間ひどいめまいと吐き気で体力を奪われた義父でしたが、
3日目にして少しずつ水分をとっても吐くことが少なくなり、経口飲料水を試したり、
だし汁やエネルギー補助ゼリー、チュッパチャップス(棒付きの飴)など、次々口にいれても吐かない安心をつけ、今は食べたいものを
量は一口ですが、おいしいと味わえるほどになりました。
チュッパチャップスは、かなり気に入ったようで、義母にも「食べてみろ」と勧めていました。
もちろん「そんなん人の食べたやつなんか要りません!」と義母は拒否していましたが、
そのやり取りは少し落ち着いたことを象徴する光景で、ほほえましいものでした。
すぐの回復は見込めませんが、本人がかなりショックを受けたので、落ち込まないよう、
そして家の中では普段通りの過ごし方ができるようにというのが、今の目標です。
さて、こんなバタバタした数日を過ごしていましたが、今日の朝刊にあのバイト先ホールのことが
新聞の地域版に載りました。
ホールのことを知ってもらう範囲が増えたことがうれしくて、やったーという感じです。
by gorchan
| 2020-07-11 20:29
| 不思議の国の種族
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